寒国しろくまと夢のたび

カナディアン夫と暮らすトロント在住フォトグラファーの思考録

あ、それ才能です。

他人の言動に対して苛々したり、もどかしさを覚えたり、「なんで?」と疑問に思ったりすることって誰にでもあると思う。

 

 

例えば、すぐ道に迷う人。知らない土地で、旅行先で、というわけでもないのにとにかくいつも迷っている人。住んでいる街の中、なんなら何度も来たことがあるはずのショッピングモールの中でも迷う。迷って待ち合わせ時間に遅れてきたり、違う場所に行ってしまったりする。

 

こういう人たちは、地図が読める人や空間認知能力に長けている人からすれば理解不能である。なぜ毎度迷うのか、分からない。ここ、この前来たよね?この街住んで何年目?いや、さっき来た道引き返すだけじゃん!!

・・・・・・・・・・

 

 

「難なく目的地に辿り着けてしまう人たち」には、すぐ道に迷ってしまうの人の気持ちがよく分からない。そんな人を見ると「あ~もう!」と心の中で叫んでしまう。なぜなら彼らにとってそれは当たり前で自然にできてしまうことだからだ。

 

 

 

 

 

 

先日たまたま読んだ記事にこんなことが書いてあった。

 

  • 「他人に対してもどかしさを感じる瞬間」にこそ、自分の才能を知るヒントがある。
  • 「あなたが無意識に出来てしまっていること」=あなたの「才能」である。
  •  あまりにも自然に出来てしまうから、自分にとっては当たり前でそれが才 能だと気づかないことが多い。 

 

 

なるほどな~と思い、自分の場合について少し掘り下げて考えてみた。

 

補足:「才能」という言葉を聞いて「プロ野球選手を目指せるような投球スキル」とか「画家として食べていけるような芸術のセンス」なんかを思い浮かべる人もいるかもしれない。だけどわたしは「才能」は直接的にそのスキルが職業に生きてくるもののみを指すわけではないと思っている。人はいろんな種類の「得意なこと」をたくさん持っていて、それらを磨いて組み合わせることで自分のオリジナルな価値を世界に与えられるのかなと思う。だから「愛嬌がいい」も「掃除が得意」も「ワインの味に詳しい」もぜんぶ立派な才能。そういうニュアンスの「才能」で読んでいただければ幸い。

 

「わたしはどんな時に他人に対してもどかしさを感じるのか?」

以下。

 

・人が何を言いたいのか、何をして欲しいのか察することができない人

 ・他人の興味深い話を聞いても「でもわたしはこうだから」と開き直って吸収しようとしない人 

 ・文章がありきたりであまり感動が伝えられていない人

  例: この前行ったカフェがめっちゃ可愛くて超やばかった〜!癒された♡(SNSなどでよくみる) 

 ・怒りをコントロールできない人 

 ・物が散乱した部屋に平然といられる人

 ・何度同じ曲を聴いても音程が取れない人

 ・人が集まる場所で、携帯ばかり気にして人と積極的に関わろうとしない人

 

etc....

 

こういう人たちが善い悪いという話ではなくて、ただ「自分はこう感じている」ということを客観的に知ることで、自分の隠れた才能に気づけるというのがここでのポイント。

 

 

 

このもどかしポイントたちをわたしの長所、才能として書き換えてみると。。。

 

・人の言動を観察して気持ちを汲み取り、その人に合ったアプローチができる。

 ・他人の話を素直に聞いて、新しい知識やその人の良いところを吸収できる。

 ・どうしたら伝わるか?を考えながら文章を書くことができる

 ・自分を穏やかに保つ方法を知っている。物事を冷静に論理的に捉えられる。

 ・人や自分が気持ちよく過ごせる空間になるように整頓したりレイアウトを工夫したりできる。

 ・人の声や音を聞いて記憶し再現する能力がある。

 ・コミュニケーション能力が高い。

 

 

という感じになるか。

今まで人生で幾度となく「あなたの長所はなんですか」と聞かれていろいろ答えてきた。けれど面白いのは、それとは全然違うことがけっこう交じっている。これを書き出してみて初めて「これ才能だったのか・・・」と知ったものもあった。自分が「がんばらなくても当たり前にできること」「自然にできること」に人はわざわざ注目しない。でも、それが自然にできない人も世の中にはいるのだ。それはその人が自分より劣っているからではなくて、たまたま得意な分野が違うだけ。

この「もどかしさを感じるポイント」とは人によってかなり違うと思う。だからわたしのリストを見てピンとこなくてもそれが普通です。一回やってみてほしい。いろいろ発見があるよ。

 

 

ちなみに最初の例の「道にすぐ迷う人」というのはわたしである。

言われた場所と違う場所に行ってしまって待ち合わせに3時間遅れたこともあるし、コンビニに入って出る時にはどこから来たのか分からなくなったりする。今はずいぶん便利になってGoogle Map等で事前に道順を調べて行くなどの努力はするものの、やはり「どこにいても難なく目的地に辿り着ける」という境地にはほど遠い。

わたしは「誰かが道に迷う」ことに対してイライラしたり「も~!」となったりはしない。だってわたしもできないし。多分、「すぐ道に迷う人にいらいらする!」って人は、自分は何も考えなくてもできてしまうから理解できなくていらいらするんだと思う。それ、あなたの「才能」ですよ、ということ。いやあわたしもその才能欲しいっす。

 

 

この記事でいいな、と思ったのは

 

1.自分の意識してなかった才能を発見できる。

 

というのとさらにもう一つ、

 

2.「イライラ」「もどかしさ」「理解できない不快感」というネガティブな感情が出てきた時に「あ。今、も~!(怒)ってなってるってことは、これはわたしの才能なんだ。」とポジティブな事実に変換してしまえるということ。

「これはわたしの才能で、この人にはたまたまそれがないだけなんだな」と相手を受け入れられるし、そうすると「あなたが苦手ならわたしが補って助けてあげよう」という行動にもつながり得る。

 

違う言い方をすれば、才能は「役割」かもしれない。みんなそれぞれ得意分野があって、分業してるだけなのだ。100人の村で100人とも狩りが得意でも、誰も調理の仕方を知らなかったらみんな飢え死にする。そこに優劣はなくて、全員得意分野が違うからこそ世界は成り立っている。

 

もちろん、苦手なことを少しでもできるようにしようとする努力は時に必要。それによって自分が生きやすくなるならば。

けれども。例えばですよ。わたしが今からエンジニアになるために嫌いで苦手な物理や電気や機械について多大な労力を費やして勉強すれば人並みくらいにはなるかもしれない。でももともとそれが好きで得意な人たちは、わたしの10倍の速度で学び、そこからさらに技を磨く。嫌々学んだ人並みのわたしと、情熱を持って技を磨いた彼らが世に与えられる価値の大きさは言うまでもない。

 

自分の得意なこと=才能を磨くプロセスはやっていて楽しい。楽しいから努力も自然とできるし、だから成長速度が何倍にもなる。人の幸福感は「誰かの役に立っている」と自ら実感することで生まれるから、自分の才能(役割)を見つけて磨き、それを世界に還元することが結局は自分の幸せに繫がる。

 

わたしは今回自分の新たな才能をたくさん見つけ、認識できた。見つけたからには磨かねばならぬ。

 

「これらをどう伸ばし、どういう形で人に与えるのがベストか?」

 

 

・・・・考え始めたら目が冴えてきた。

最近の悩みは夫のいびきがうるさくて眠れないこと。ここ数カ月仕事が忙しくて疲れているらしい。今もやっぱりゴーゴー言っている。この悩みを彼の親友に打ち明けたら、「That's life.」(人生そんなもんよ)と言われた。そういえば奴もいびきひどいんだった。聞く相手を間違えた。

 

 

風の音が聞こえる。

窓の外を見ると、さっきの吹雪であたり一面真っ白になっている。砂糖のように表面のあちこちがキラキラ光っていてなんともきれい。

明日もいい日であれ。

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