寒国しろくまと夢のたび

カナディアン夫と暮らすトロント在住フォトグラファーの思考録

新たに

今日、すんげぇ雪降ってる。

 

 

 

 

今年は50数年ぶりの大寒波らしく、先々週ごろまで−27℃前後の日が続いたりしていた。

 

−27℃と突然言われても、日本にいると想像しがたいかもしれない。

こちらでは皆けっこう実温度と体感温度を両方チェックしていて、例えば実際の温度が-27℃であっても体感温度は−36℃だったりするので、それに合わせて服装を調整する。体感温度は風の強さも考慮した温度らしい。風が強い日は体感温度も一気に下がる。 

 

そんな気候の中を歩いていると、鼻の中の水分が凍って膜を張ったようになったり、まつ毛が凍ったりする。手袋を忘れた日には「そのうち腐って切断しなきゃいけなくなるよ!」と言われたりもした。耳や顔の露出部分は冷たい、痛いを通り越すと感覚が麻痺してくる。脚が固まって動かなくなったこともあった。こんなに寒いのに路上で生活している人が大勢いて、冬の終わりに亡くなったホームレスの数が放送されると非常に心が痛む。

 

 

東京に住む弟たちからは、大雪の写真が送られてきた。今年はあちこちで寒波が到来した模様。仕事で人生初の雪かきを頼まれたという弟(南国育ち)は少々浮かれていた。

 

今年の10月に、弟たちがカナダへ旅行へ来ることが決まった。1番下の弟にはもう3年半以上会っていないんじゃないかな。最後に会った時はまだ高校生だった。総体の決勝を見に行ったのを覚えている。もうお酒が飲めると聞いて驚いた。夫ともようやく会わせられる。楽しみだ。

 

 

 

さて。

前年の末に振り返り記事を書いた。

今年は今年でまた新たな目標を決め、動き始めている。

 

その一つに「デザインに挑戦する」というのがあって、1月初めに基本のキを学ぶために何冊か本を注文した。何が美しいデザインで何がそうでないのか。誰が見ても「なんだか惹かれる」デザインは何が違うのか。というかデザインってそもそも何?どんな種類がある?。。。云々。

 

そう、完全にゼロからのスタートである。

 

昨日夫が「店の新商品のポスターを作って貼りたいけどやることが多くて手が回らない」と嘆いていた。わたしは「そんなことなら任せておけ」と張り切ってポスターを作り始めた。ここ一カ月ちょっとで勉強したことを実践するチャンスが急にやってきて心が躍ったのだ。ひょいと引き受けた。

 

深夜2時半、できあがったポスターを見て絶句した。

 

「ダサい」

 

・・・・・。

完成から秒数が増すごとに、眺めれば眺めるほどに、そのダサさが浮き上がって見える。なんか、COOLじゃない。撃沈した。雀の涙ほどとは言え、勉強したことを詰め込んでみたはずなのに。疲れたので寝てしまおうと布団に入ってからも、なんでダサいのか、原因をずっと考えていた。

 

言わずもがな、現在この失敗はわたしのなかで既に100%ポジティブなものに変換されている。完成直後こそ撃沈したけど。

今までだったら自分の作ったチラシのどこがダサいかなんて原因をいくら考えても分からなかっただろうし、そもそもダサいとも思わなかったかもしれない。教員時代に仕事で図書館のニュースレターを毎月出していたが、レイアウトを自分でも気に入っていたし、生徒が黒板に集まって読んでくれるのが嬉しいと思っていた。今あのニュースレターを思い出すと、装飾がごちゃごちゃして読みにくいし行はバラバラだし各号に一貫性はないし・・・といろいろ文句をつけたくなる。あの時には見えなかったものが今は少しだけ見え始めている。

 

布団に入ってから、「整列が悪かったのかな、いやコントラストが弱すぎ?フォントの組み合わせかな。そもそも写真はあれじゃいかんだろ!」と頭の中は大嵐だった。ふと我に返って、なんだ、わたし失敗したけどちゃんと前に進んでるじゃん。と。大嵐のあと、ゆっくりいろいろ考えていたら次のステップが少しずつ見えてきた。これをやりたいけどやり方が分からないから調べよう。もっと既存の美しい作品をたくさん見て自分の引き出しを増やそう。とか。未知の分野を自分の意思で掘り下げていく作業は、楽しい。自分にそれができるかどうか、ということはやってみるまで分からんので「あ、これ楽しそう」という自身の直感に従い、とにかく何にでも挑んでみようと思う。

 

 

 

デザインの勉強とは別に先月から始めているのが、

「毎週最低2か所、トロントの新しいカフェを発掘する」というもの。

ゆくゆくの目標は

「ローカルなカフェを紹介するマップを自分でデザインして配布する」

ことなのでデザインとも最終的に絡んでくるんだけど。

今はその準備段階としてトロントのいろんなカフェに行きまくっている。

 

トロントは本当にカフェの多い街で、コーヒー文化が根付いているなあと感じざるを得ない。モルティ・カルチャー故、コーヒーのスタイルも多彩。

ちなみにわたしは、マップを作ろうとしているわりにコーヒーの味に疎い。というかブラックコーヒー飲めない。いつもラテに砂糖を入れて飲んでいる。じゃあなんでそんなにカフェに行くのかというと、そこにいる人たちや空間そのものが好きだから。ホットコーヒーと焼き立てのベーグルが混ざった匂いや、いろんな人種、文化、ジェンダー、年齢の人達が自由に午後のお喋りを楽しんでいるその光景が好き。インテリアや照明、メニューの提示の仕方などがお店によって全然違うのも楽しい。コーヒーだけではなく、様々な種類のteaを試せるお店も多々ある。tea latteなんていう、日本にいる時は馴染みのなかったものも今ではすっかりお気に入りだ。

 

 

先日、家から一時間以上かけて行ったスモークサーモン・ベーグルのお店で食べた「The Fancy Fancy」という名前のベーグルが死ぬほど美味かった。吹雪いていて平日だったせいか、客はわたし一人。店員の女の子に「ここ、サーモンのベーグルが美味しいって聞いて来たんだけど」と言うと丁寧にメニューを説明してくれた。名の通りファンシーな一番具の多いベーグルを頼むことに。

 

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  これ、けっこうなボリューム。クリームチーズとスモークサーモンという王道の組み合わせに、細くて小さいもやし(アルファルファ・スプラウトというらしい)、ビーツを酢漬けしたもの、きゅうり、 ケーパー、ディルなどの野菜ががぎっしりぱんぱんに詰まっている。この組み合わせが絶妙で美味い。そういえばカナダはサーモンが有名なのです。かつてサーモンと言えば焼くか刺身かの二択だった。スモークサーモン最高。そして日本(西)よりチーズが美味い。ちなみに他のお店でもだいたいそうだけど、ベーグルの種類も選べる。上に胡麻、ポピーの種や麦などの穀物類をカスタマイズしてちらしたりもできる。

 

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 縦に長い店内に並ぶ小さいテーブルには、サボテンの鉢がそれぞれ置いてある。奥の席に腰かけて「あ~幸せだ」と脳内で叫びながらベーグルにかぶりつく。帰りに店員の女の子と少しお喋りした。「平日のこの時間は静かな時もあるけど、週末はすごいのよ」と言っていた。遠いけどまた絶対来るから!と意気込むわたしを「いつでもウェルカムよ!」と笑顔で送り出してくれた。

 

 

 

寒いけど、充実している。寒いけど。

 

 

 

 

 

 

いよいよ3月から2人で引っ越すことになった。今、ダウンタウンにできるだけ近くて手ごろな部屋がないか各ウェブサイトを毎日夫婦でサーフィンしている。 

それもこれも、以前から勃発していたちいさな家庭内紛争が今月初めついに史上最悪であろう大戦争へと発展し、「もう待てない」と確信したからだった。いろいろな問題は置いておいて、とにかく速攻出ると決めた。夫も同意してくれた。喧嘩の主たちは、その日完全に頭がおかしくなっていて、その光景を見た時わたしは「おねがいだから精神科へ」とほぼ祈るような気持ちで見ていた。日々流れてくるどす黒い煙を無意味に吸い続けるのはもうごめんだ。わたしの人生まで破壊される前にとっととここを出なければ。

 

この状況なので、わたしは過剰に「自分を守り、スペースを保ち続けること」を意識せざるを得ない。「自分が自分であり続けること」をこんなに困難に感じたことはない。ひとりひとりの価値が尊重されてきたわたしの家族の方が稀で、とんでもなくラッキーだっただけなのかと思う時さえある。間違いなく普通ではない環境だと認知していても、わたしは大丈夫だからと信じていても、心は確実に蝕まれる。蝕まれないように、と逆らうことに莫大なエネルギーを使う。こんなのほんとうに無駄だと思う。

 

でもわたしには救いがあった。夫が一番の理解者であろうと努力してくれること。日本にいる家族がわたしのことを大切に思ってくれていて、いつでも支援すると言ってくれること。それからわたし自身が、自分ならなんとかなるという根拠のない自信を持てるタイプの人間であること。こういうことを見逃さないで、きちんと感謝する。あとはとにかく自分のやりたいことにフォーカスして他人のことは放っておく。

 

ここ数年でメンタルがだいぶ鍛えられております。もう一回りマッチョになろう。

 

 

夢の新婚生活(ついに)。あと、永住権ももうそろそろなので働けるようになります。嬉しい。

わたしがようやく本当の意味で自分の人生に集中するタイミングが来たな、今年だなと思う。やっとステージにのぼれた。いきます。