寒国しろくまと夢のたび

カナディアン夫と暮らすトロント在住フォトグラファーの思考録

スタートライン

 

 

おひさし。

 

 

彼の実家を出て、夫婦でアパートへ引っ越した。

やっと、やっと、やっと、、、!

この日をどれだけ待ちわびたことか。2人で住むのがやっとの小さいお部屋。金欠。だけど、そんなことはどうでもいいほど、今とても幸せだ。

 

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(新しいアパートから30秒の可愛いカフェ)

 

先日はたくさんの友だちが引っ越しを手伝ってくれた。お昼休憩で、うち1人が食べていたインドのサモサという料理が異常に美味しいと盛り上がり、夜また同じ店へ行って全員分テイクアウト。門出に乾杯、ということでお酒も少し買って夜みんなで飲んだ。何度も車で高速道路を往復したり、一日中重いものを運んだり買い物に付き合ってくれたり、みんななんて優しいんだろう。他にも夫の店のオーナーが大きなソファをくれたり、義妹がおにぎりを差し入れしに来てくれたり、妹彼氏(エンジニア)がベッドを目に余る速さで組み立ててくれたり。昨日は、心底わたしたちは人に恵まれてるなぁと思う一日だった。ありがたや。

 

 

一方、義理母とはなんとも気まずい別れ方をした。何度か登場してるので色々お察しかとは思うが、わたしにとっての引っ越しの第1目的は「彼女から離れる」ことであった。

 

病的な過干渉、ヒステリック(一度は警察沙汰になった)、家族という小さなコミュニティへの異常な執着。情緒不安定。ショッパホリック。ものを捨てられない、片付けられない。どこまでも悲観的で、過去や周りの人にしがみついて生きている人。

 

こういう人と1年半同じアパートで暮らしていたので、それは色々あった。思い出すのもぞっとするので省略するが、とにかく確実にわたしのメンタルに危害を及ぼしていて、ストレスで幾度となく悩み、泣いた。最終的には彼女の足音やくしゃみの音を聞くだけで、心に何か恐ろしいものが迫ってくるような脅迫感や嫌悪感が芽生えるようになった。わたしには距離が必要だった。

 

 

引越しの日に新しいアパートの掃除をしに来ると言い出したのでわたしは震えた。絶対に嫌だと思った。夫とわたしは、友達も大勢手伝いに来るし、来る必要はないと伝えた。

それで、怒った。わたしたちと口を聞きたくないという態度を小さい子どものようにあからさまに出していた。どこまでも自己肯定感の低い人なので、NOと言われることイコール相手からの完全拒絶と捉えるらしい。さらに攻撃してくる様子だったので、もうこれ、どうでもいいなと思った。今日は純粋に、この引越しを心から喜んで、そしてこれからはわたしはわたしの人生を楽しく生きようと思った。

 

 

 

引っ越しが全て済み、友だちもみな帰っていった。風呂あがり、新しいベッドに寝転がる。夫はもう疲れていびきをかいて寝ていた。いろんなものが込み上げてきて、涙が出た。2人で、新しい家で、誰に何を言われることなく普通に暮らせること。それがわたしにとってはほんとうに有り難く、ずっと望んでいたことだった。一緒に叶えてくれた夫、助けてくれた実母や友人たちへの感謝の気持ちでいっぱいになった。普通のことが、ほんとうに心から嬉しかった。ここが本当のスタートラインだ。もう、無敵。何でも乗り越えられる気がする。

 

 

 

 

 

 

そう言えば仕事も始めた。街の真ん中にある小さなレストラン。20年近く(トロントではわりと老舗)同じシェフが経営しているのと、単価が少し高いからなのか、客層はほぼ常連客かお年寄り、若い(といっても28〜35くらい)落ち着いたカップルばかりだ。昨日はゲイのおじいちゃんカップルが来ていてほのぼのした。

働いている人たちももう長い人がほとんどで、15年以上ここで働いていますという女性もいる。客と仲が良く、誰が何を頼むとかあの人のドリンクにはレモンを添えて氷なしとか、一人ひとり客の情報をみんなで共有している。時間がある時は席まで行ってとりとめのないことをずーっと喋っていたりする。かなりアットホームで落ち着いた職場だ。

日本ではあまり見ないな、という面白い光景もある。飲食店で働いた経験があれば分かると思うのだけど、店を閉めてもお喋りに夢中で全く帰らないお客さんというのがたまにいる。この店の人たちは全くそういうお客さんに対して催促しないし、席をチラ見しながら「早く帰れよ」的な視線を向けながら無駄に待ったりもしない。もう完全に放ったらかしにして、別のテーブルでさっさと賄いを食べる。そしてようやくお客さんが帰るという時にも席を立たず、食べながら「あ、じゃあねー!ありがとう。また来てね〜」という具合。そしてお客さんも「ここは賄いも美味しそうだね〜バイバーイ!」みたいな。

 

 

ゆるい。

 

 

だいたい夜遅くとも9時半には賄いを食べて10時には帰れる。

オーナー(じいさん)は「もうさ、夜は早く閉めたいのよ。帰ってゆっくりしたいでしょ。」と。

 

ゆるい。

このゆるさが好きだけど。

とにかく楽しくやってます。

 

 

 

 

このレストランの仕事とは別にデザインの仕事もいただいた。夫のベーカリーの店の内装に関わる大事な仕事。急にハードルが高いのきて、この前デザインの基本を始めたばかりで全てが手探り状態のわたしは正直かなりプレッシャーを感じている。でもこういう負荷を与えた方がわたしの場合はうまいこと行く、というのを自身もよくわかっている。うん。頑張るしかない。トライするチャンスをくれる人がいる、ということ自体がそもそもありがたいし、だからこそ全力で応えたい。

 

 

 

 

 

どんな状況に置かれていても、目の前にある小さな幸せに日々感謝しながら前向きに生きていれば神様は見逃さないらしく、最近わたし自身にも周りにもいいことがたくさんあった。

 

職場にも近い便利で安全な場所へ引越せたこと。夫の職場の契約事項が4月から一新され、月給もボーナスもアップ、働く頻度も減ったこと。家族からの思わぬ臨時収入。友人たちからの嬉しい報告。お祝いや差し入れをいただいたこと。などなど。

 

 

神様はと書いたけど、実際わたしが神様というもののパワーをものすごく信じているのかというとそういうわけではなく、わたしが自ら「意図的に」こういう思考の仕方を選んだ結果だと思っている。辛い現実にぶつかった時、それに振り回されることなく自分の軸を保つ方法、思考の癖(思い込み)を変えてポジティブに生きる方法などをここ1〜2年でいろいろ試してきた。だから分かったことがいろいろある。そういう意味で変換の仕方がうまくなってきたな、と思う。そういう風に生きていると、結果としていい現実がついてくる。これは逆も然り、というのも目の当たりにしてきたから、ほぼ確信している。

ここらへんのことについてはまた機会があれば別に書こうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本では桜が見頃を迎えている様で、お花見やピクニックの写真がよく目に入る。ところによってはもう桜は散り始めていて、いよいよ初夏の匂いがしていると聞いた。

 

トロントはというと、4月に入っても未だ吹雪いている。今日は太陽は見当たらず、コート、マフラー、帽子等を着込んだ人たちが通りを足早に通り過ぎて行くのが窓から見える。はやく暖かくなってほしいものだ。写真も撮りに行きたいし。

 

 

今年の春夏はきっと昨年以上に楽しくなる。

今回ははこの辺で。